「おたく」と「萌え」

また、オタク的なものがファッションとして捉えられるようになり、一般人が大量に流入した結果、オタク固有の文化と言い切れるだけのものは、少なくなっています。 オタク文化は広く拡散しながら、グッズの大量消費の流れの中、資本主義にのみこまれてしまっているようです。 今日では1つのジャンルについても、昔とは比較にならないほどの情報量を含んでいます。<「おたく」と「萌え」>「おたく」と「萌え」 では、本来の意味での「おたく」は本当に「死んだ」のでしょうか? 「おたく」の定義があいまいである以上、その文化の崩壊を嘆くことに意味があるのか、という疑問の声もありますが、仮におたくというものを「好きなものを自分で決められる知性と偏見に屈しない精神力を持っている人」と定義するならば、どうでしょうか。よって、そのジャンルをすべてフォローすることは、物理的にも金銭的にも難しそうです。 しかし、岡田氏が考えるような「武士道」「貴族」的な魂を持つおたくは、増えた分母の中に埋もれているだけで、若い世代にも受け継がれているのではないでしょうか? たとえば、一部のギャルゲーの世界は、かなり先鋭的なファンで占められていて、一般の人にはついていけない印象です ジャンルの細分化・情報量の増大・消費傾向の拡大の影で、いまだに世間の理解を得ているとはいえないジャンルのマニアはいるわけで、そのような人たちも、前の世代のようなおたくの定義に当てはまるはずです。 動画をおもちゃにして遊んでいるオタクたちも、おそらくは多くがそのような層でしょう。 結論としては、「おたく文化は死んだ」とは言えるかもしれません。。 「萌え」という言葉も、世間に分かりやすいようにパッケージされて消費されている一例でしょう。そのため、消費的・受動的なオタクが目につく形です。が、個々としてのオタクは目立たないながらも生存しているので、「おたくは死んでない」という言い方ができるでしょう。

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